『SPA!』11月26日号で、再び倉山満氏が
皇室問題について記している。
前号の記事で、私は彼を先例原理主義者じゃないかと
ブログで書いたのだけれど、今回もゴリゴリの
原理主義っぷりを発揮している。要点は、
1)いかに先例が重要であるか
2)最も重要な先例とは男系継承である
3)だから旧宮家の復活、何ならそこに
内親王を輿入れさせろ
4)民間人の男は皇室に入れないのだから、
皇室の男女不平等は男性差別
あれ。なんか要点だけ抜き出してみると、
結局、竹田恒泰と同じこと言ってない?
それはともかく、
1)について。
先例は私も重要だと思う。
ものすごい勢いで先例批判をする人を
罵っているのだけど、何もかも新しくすればいいと
考えている人なんているのだろうか。
むしろ先例を踏まえ、なおかつ現代に即した在り方を
検討することが大事なのではないだろうか。
それを人は「バランス感覚」という。
2)について。
倉山氏はこう記している。
「一度の例外もなく続いてきた先例は、
皇位の男系継承である。最も重要な先例よりも
重要な価値観とは何なのか?」
そんなもの、ありはしない、と言いたいのだろうけど、
これも何だか前のめりに過ぎる。
確かに過去を遡ってみれば、男系で継承されては
いるのだけれど、昔は皇族同士で結婚していたから
女帝であっても遡ればすぐに男系につながる
というだけの話ではないか?
過去の人々は、男の血統ならいいけど、
女の血統はダメ、と明確に意識していたのだろうか。
むしろ傍系の天皇の即位を正当化するために
天皇の娘と結婚させたりしているのだから、
女系を重視していたともいえる。
これこそ存続のための当時の知恵だろう。
結果論としての男系継承を、絶対に変えてはならない
先例としてしまうのは無理がある。
3)について。
男系継承のために旧宮家復活、女性皇族を輿入れ。
ううむ、昔は傍系の正当性を担保するために
あり得たとしても、もはや時代錯誤。
しかし倉山氏には、時代なんか関係ない。
現代の価値観も関係がない。
「日ごろは義務だけあって何の権利もない皇族の
方々に、結婚だけ自由や権利を言い出すなど、
偽善の極みにすぎない」
といっている。
せめて好きになった人と結婚させてあげたい、と
いうのは偽善か?
ならば美智子さまと結婚された上皇陛下、
雅子さまと結婚された天皇陛下を受け入れた国民は
偽善なのか?
日ごろは義務だけあって何の権利もないからこそ、
せめてご結婚くらいはと思うのは自然の感情だろう。
いやいや、とことんまで先例を守り抜いてくれ、
そうであってこその皇室だ、というのならば、
いずれ皇室は国民感情とかけ離れ、遠い存在になっていく。
それを天皇陛下は望むのだろうか。
そうまでして守る先例とは何なのだ?
理想の皇室像を押し付けているのは一体誰か。
しかもこの論でいえば、輿入れさせられる女性皇族
のみならず、復活させた旧宮家系の男子にも
結婚の自由はなくなる。
その自由を奪う権利など、一体誰にあるというのか。
4)について。
屁理屈。
民間人の男性が皇族になれないことを男性差別だと
いうなら、直系の女性が天皇になれないことも
明確な女性差別である。
そうした差別が今なお厳然として横たわっているからこそ、
皇位継承は危機に陥っているのではないのか?
前近代的な差別を先例だの伝統だのと誇っているうちに、
皇室そのものの存続が立ち行かなくなりつつある。
なぜそこに思いがいたらないのだろう。
いくら知識があっても、バランス感覚がなければ、
大局的な視点をいとも簡単に見失う。
倉山氏は、男女平等を現代の価値観だと軽視し、
皇室について「一知半解」「中途半端な学」と
こきおろす。
それならば、側室制度をやめたり、恋愛結婚したり、
子育てを自分でしたり、膝をついて国民と話したりと、
現代の価値観と共に変わってきた皇室の最近の“先例”を、
彼は一体どう考えるのだろう。
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